え〜っと、まだネタがないので開店記念でこんなものでもアップしておきます。

大正5年測量 昭和6年補記の帝国陸軍陸地測量部発行の20万分の1地形図

昭和5年に国鉄予讃線が郡中まで延びたことなどにより補記されたものだと思います。

松山駅まで予讃線が延びたのは昭和2年くらいなんで、当時は急ピッチで工事を進めていたんでしょう。

当然ですが、石手川ダムはまだありません。

松山空港もまだありません。

重信川の河川巾が妙に広いです。特に砥部東方の中野付近は水筋が複数あります。

当時は治水工事が不十分で、まだ「暴れ川」だったんですね。

現在の五明 城山 が「城ノ山」と記されています。今は「ジョウザン」と呼ばれていますが

当時はなんと発音されていたのでしょうか?

伊予鉄森松線がしっかり記入されています。

三津から道後までの「三津街道」が太く記されています。当時はこれが松山の幹線道路だったのでしょう。

現在の西堀端内公園付近に「★」印があります。これは旧帝国陸軍司令本部があった場所を示しています。

現在も東堀端県庁前出口に「帝国陸軍境界標識」の石柱が残っています。

温泉郡 周桑郡 越智郡 の「郡」が記されていません。

松山市周辺は 「温泉」 です。

伊台の「勝岡山」に「カツカ」のルビが入っています。読みにくい地名はちゃんと入っています。昔の地図は親切です。